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第三章. 真琴狐 「ある朝,もえぎ色の草で編まれたお布団に包まれて,ひとりの女の子が目を覚ましました.日差しはあたたかく風は優しくて,とてもいい日でした.この女の子の生まれた春の野原には,悲しいことなんて何もありませんでした.」 「それってまこちゃんのおはなし?」 「うん,真琴は真琴のおはなしが大好きなんだ.一美ちゃんは真琴のおはなしは嫌い?」 一美と呼ばれたおさな子は,大きく首を横に振って真琴を見上げた.そのあどけないしぐさを見て,真琴はひざの上に抱きとめたその子の頭を嬉しそうに撫でた. 「そう,一美ちゃんも好きなんだ.良かった.昔,一美ちゃんのパパとママがね,いつも真琴のおはなしをしてくれたのよ.かわいらしいお姫様がおはなしの中に出てきて,それって私のこと?って聞いたらいつも,祐一も美汐も,そうよ,って答えてくれたの.でもいつも真琴のおはなしばかりじゃつまんないよね.今日は一美ちゃんが主人公のおはなしにしよう.」 「うん.」 一美は真琴の言うことをよく理解できる歳ではなかったけれど,自分の名前が出てきたので元気良く頷いた.そうして,穏やかな季節の野原に住む可愛らしい子供の名前は「一美」に決まった. 一美は真琴のひざの上で,ガラスの靴を履き,赤い林檎を食べ,カエルの王子様と結婚した.真琴のおはなしは彼女の読んだ童話や漫画の内容を覚えているままに交ぜて話したもので,話に繋がりのないところがたくさんあったけれど一美は喜んで聞いていた.物心のつく頃には自分でもおはなしを作り始めて,「まこと」という名前の,一美の不思議なお友達の話を何度も真琴に話した. 小学校へ上がったとき,一美はそれまでなんとなく疑問に思っていたことを口にした. 「ねぇ,どうしてまこちゃんは歳をとらないの?」 「うーん,どうしてなのかなぁ,」 真琴はどう説明したものかと困った顔をして答えた. 「理由はよく分からないんだけど,真琴が歳をとるのが遅いのは一美ちゃんにね,ずっと同じようにおはなしをするためだったと思うんだ.」 「ご本ならもうひとりで読めるよ.」 一美はひらがなの本くらいなら読めてしまうので,一美の方から真琴におはなしをせがむことはなくなっていた.ただ祐一たちの帰宅が夜遅くなってしまう時にだけ,真琴が枕元で話をしてやることにしていた. 「うん.だけどね,真琴がおはなしをしたいの.おはなしの中で,お姫さまと王子さまが結婚して幸せになるよね.そういうおはなしをしていると自分も幸せになったような気がしてくるの.」 「まこちゃん,なんだかかわいそう.」 「かわいそうかなぁ.でも,一美ちゃんにそんな風に言われると,真琴,やっぱり泣きたいような気持ちになってきちゃったよ.」 真琴は,一美が生まれてから泣いたことはなかった.外見は幼い昔の姿のままで心にどれほどの成長があったのかを想像することは難しいが,もしも誰かの前で泣かなくなることが証だとするならば,真琴は間違いなく成長していた.真琴がどうして祐一や美汐と別の時間を生きているのかは真琴自身にも知りようがなく,一緒に暮らし始めて五年も経たないうちにどことなく遠く感じられるようになってしまった二人との距離を,二人の子供である一美が埋めてくれていた.真琴は一美の前では年長の者の優しさを演じることができたし,そしてもちろん,泣いたことなんてなかった. 「まこちゃん,つらいの?」 一美は真琴の濡れた目を心配そうにじっと覗いた. 「うん,真琴はもしかしたらかわいそうかもしれないとおもったの.祐一だけ二度も結婚できるなんてずるいんだ.」 「まこちゃんはけっこんがしたいの?」 「うん.真琴は結婚がしたかったんだ.王子様をずっと待っているんだ.」 「それじゃまこちゃん,一美と結婚しよう.」 真剣な面差しで一美が言った.結婚の意味なんて知りようもない子供の言うことには,素直な優しさがこもっていた.いや,そもそも真琴だって結婚の意味を一美以上に知っていただろうか.ただ,そうだとしても,「結婚」した祐一と天野はとても幸せそうに見えたのだ. 「そうかぁ,一美ちゃんがずっと一緒に居てくれるんだったら,真琴はきっと幸せだなぁ.」 真琴は一美と背の合うようにしゃがんで,本だって独りで読めるようになった子供の顔を正面に見た.独りで出来ることが増える度に二人ですることがなくなってゆく.またいつか,なんでも二人で出来るような日が来るといいねと,持ち上げるには少し重くなった一美を抱き締めながら,真琴は幾多の物語の続く先に祈った. |