いつのまにか過ぎ去った桜の季節へ
7. 僕の下宿にて、「麻美」と「咲哉」「待ってて。お茶でも入れるよ。紅茶とコーヒー、どっちがいい?」 「紅茶お願いします、」 麻美との間に流れていた空気が少し緩くなった。下宿に着いてしまえば、話すきっかけはいくらでもあって、僕はほっと一息ついた。どうして麻美は急にあんなことを言いだしたのだろう。そういえばこれまで、麻美から麻由の話を聞いたことなんてなかったんだ。僕はそれが何を意味しているのか考えようとしたけれど、その矢先、 「僕はコーヒーね、」 もう一人、子供の声が聞こえた。あわててリビングに戻ると、ソファーには咲哉が何喰わぬ顔で座っている。 「先輩のお知りあいなんですか、」 どうやら今度は麻美にも姿が見えているようだった。 「どうして君がここに居るんだ」 「大切なもの、机に置いたままだったからさ。注意しようと思って来たんだけど、どうやら遅かったみたいだね」 と言う咲哉の指差す先、そこにあったのは・・・『麻由』の写真。 満開の悲恋桜を背景に、彼女の笑顔は眩しかった。どうして、これを隠すのを忘れていたのだろう。結局、僕は麻美にこの写真を見せる勇気なんてなかったのに。 「あ、姉さん、」 「いや、これは・・・」 「でも、制服が違う」 「そ、そう。違うよね、」 うなづいてみたものの、上手く言葉を続けられなかった。 「・・・これが、あの記憶喪失の女の子なんですね」 「えっ、何で麻美が知ってるんだ。咲哉、もしかして君が」 「ひどいな、濡れ衣だよ」 咲哉が不服そうに答えた。 「じゃあなぜ、」 「・・・トモコさんに聞いたんです」 そう言ったのは、麻美だった。 「まさか、」 その可能性はあったはずなのに、僕はこれまで自然とそれを否定していた。咲哉はいつの間にかいれてきたコーヒーをのんびりとすすっている。僕らはそのままで麻美が何か話し始めるのを待った。 「麻由さん、って言うんですよね。先輩がつけた名前、」 「僕がつけた名前じゃないよ。彼女がそう言ったんだ」 「そんなわけないじゃないですか」 「そういわれたって、本当のことなんだからしょうがないよ」 「・・・それはもういいです」 そう言ってから、麻美は黙りこんだ。仕方がない、『麻由』のことを始めから説明しなくちゃならないと僕は思った。 「でも、彼女は実は、」 「先輩、」 麻美は僕が言うのをさえぎった。 「その麻由さんのこと、好きだったんですか」 「いや、だから、その『麻由』っていうのは、君のお姉さんの麻由と・・・」 「トモコさんは、実際のところよく分からないんだ、って言ってました。先輩が、麻由さんのことを本当に好きだったのかどうか、って」 ・・・どうしてだろう、僕は何故だかその言葉に反論できなかった。トモコはいつも、物事の裏側にある真実を言いあてるようなところがあった。そして、本当に必要だと思われる時にしかそれを言うことはないんだ。 「麻由さんは、先輩の中の、トモコさんが慰められなかった部分を癒す力を持ってはいたけど、でも言ってみればそれだけでしかなかった、だから先輩はまだ、」 「桜に魂を捕われてるのさ」 咲哉が麻美の言葉を継いで、言った。 「『麻由』が、ただそれだけのものでしかなかったって・・・あれは本当に麻由だった。麻由が生まれかわったんだ」 「姉さんはもう三年前に他界しました。先輩も、お葬式に来てくれたじゃないですか」 「・・・もしそうだとして、じゃあ一体、あの『麻由』は何者だっていうんだ。ちゃんと僕のことも覚えてたっていうのに、」 「彼女はもちろん麻由と関係があるけれど、麻由自身じゃない。始めに言っただろう、本物の麻由は桜の樹の下に埋まっているんだって」 「君が何を言ってるんだか、もう全然分からないよ、」 「結局、先輩は姉さんのことがずっと好きだったんです。だから、姉さんの面影を持った女の子と巡りあったり、それって運命、みたいなものなんですか。死んだ人にはもうかないっこないんですか」 ビュウッ、 そのとき、窓からの突風が机の上の写真立てを倒して、麻由の笑顔が宙に舞った。僕は手を伸ばして写真をなんとかつかみ取る。けれども、その瞬間、写真が桜色に滲んだかと思うと、そこからおびただしい数の花弁が吹き出して部屋の中をゴォゴォ回り、麻美を全体、包み込んでしまった。 「麻美、あっ、」 僕はあわてて写真から手を離すと、桜の渦をかき分けて麻美を探した。中から麻美の声が聞こえてくる。 「・・・姉さん、」 何故だかその声はとても遠くに感じられた。僕が渦の真ん中に辿り着いたとき、そこに麻美の姿はなく、やがて桜の渦が止んでぐちゃぐちゃになった部屋には、僕と咲哉だけが残されていたのだった。 「どういうことなんだ、桜に捕われているのは僕じゃなかったのか」 「それより、ほっといていいのかい。彼女、きっと悲恋桜のところだよ」 知ったように咲哉が言う。訳が分からないが、多分、嘘じゃないだろう。 「・・・後でちゃんと問い正すからな」 僕らは体についた花びらを払い落とすのもそこそこに、下宿を飛び出した。 「飛ばすから、よく掴まっておけよ」 咲哉を後ろに乗せ、僕はもう日の暮れた街をバイクで走り抜けた。 「これくらい慣れてるさ」 「くそっ、なんて中学生だ、」 「遅いなぁ、もっとスピードでないの、」 「文句言うなら、降りろよな」 「他人じゃないんだから、もっと優しくしてくれてもいいじゃないか」 「誰が他人じゃないだって、」 「おい、前見てないと危いだろう、」 ・・・いつだったか、こんなにぎやかな二人乗りで走った記憶があった。それは、そう、『麻由』の記憶探しの時だった。 |