いつのまにか過ぎ去った桜の季節へ
5. 回想。桜の魔法と「咲哉」「あのさ。言いたくて、でも言えなかった言葉って、どうなってしまうんだと思う、」 僕の突然の問いに、ゼミの宿題ですか、と少し笑いながらも麻美は答えてくれた。 「ほんとに言いたくて仕方のない言葉だったら、多分、私、言ってしまってると思います」 「それじゃ、答えにならないよ、」 僕は苦笑するしかない。 「そうですね。でも、それが自分の大切な人を傷つけてしまうんだったら、やっぱり言えないかもしれません」 「じゃあ、その時、行き場をなくした言葉はどうなるの」 「うーん、そういうのって多分、エネルギーになって溜っちゃうと思うんです。だから、なんか行動に現われちゃうんじゃないでしょうか」 「情熱、っていうのが近いのかな、」 「まわりが見えなくなる、って意味では同じかもしれませんね」 ・・・咲哉はどうして、こんなことを気にするのだろう。あの後、彼は僕にこう言ったのだった。 「キミはもう、桜の魔法のことを知ってるはずだろう」 「悲恋桜の呪いのことなら、僕がもう解いてしまったけれど、」 「解いてしまっただって、」 咲哉は心底驚いたような声をあげた。 「そんなわけないじゃないか。キミはたしか国文学科だったろう、本当に桜がその程度のタマだと思ってるのかい」 そういえば、人気のないただ桜だけの景色は恐ろしいばかりだ、って書いた作品もある。桜のもつ魅力、それは魔法といってもいいとは思うけれど、その力に対して僕が確かに勝ったのだという自信は、今こんな事態に陥っている以上、全くなかった。 「それじゃあ、麻由はまだ解放されてないっていうのか、」 「キミがこんなボンヤリでは、彼女も救われないだろうね。仕方がないから、ヒントをあげる。言えなかった言葉はどこへ行ってしまうのだと思う、」 「言えなかった言葉、」 僕がかつて麻由に好きだと言えなかったこと。そして、それは麻由も同じだった。相手が、自分が、死んでしまっては、言葉を伝えることなんて永遠にできないはずだった。だけどそのどちらも、今はもう「言えなかった言葉」じゃない。僕らの間に起こった奇跡が、二人に告白する時間を与えてくれたのだから。そして、呪縛は解けたはずだ。 咲哉の言いたいことが分かったような気がした。悲恋桜の呪いの正体は、言えなかった言葉だったんだ。言葉を交わさないと、人との関係は始まらない。だから言えなかった言葉は、本当は始まるはずだったその人との可能性を全て背負ったエネルギーに変わるんだ。例えば、それは相手のことを知らなさすぎることから生まれる憎しみだったり、悪いと思いつつもついに謝ることのできなかった自己嫌悪でもある。それは、どんどん悪いほうへ考えてしまって、いつか呪いになってしまうんだ。相手を呪い、自分を傷つけ、それに縛られて他に何も考えられなくなる。麻由が悲恋桜に呪縛されていたのも、そういうことだったのだろうか。 「僕は麻由に好きだって言えなかったから、行き場を失った言葉が胸につかえて、自分を呪っていたように思う。どうして、あのとき好きだと言えなかったのか、って。君が前に、僕が桜に魂を捕われてる、って言ってたのは、そのことなのか。だったら、麻由に告白した今はもう関係ないはずじゃないか」 「そうかな、キミたちが告白しあって全てが終わったと思うのかい。全ての言うべき言葉がもう言いつくされた、と思ってるのかい。それじゃあ、どうしてキミはそんなに不安そうなんだ。何を怖がってるんだ。キミはもっと、あのお嬢さんのことを大切にしなくちゃならないよ」 「えっ、お嬢さんって。・・・麻、美、」 「そうさ。やっぱり麻由の言い残した言葉が効いたかな。キミ、とても麻美と真摯に向き合う気持ちになんてなれなかったろう。あれがなけりゃ、自然に麻美と付き合ってるうちに、恋人同士になってたかもしれないのに」 「麻由のことを悪く言うな、」 「おっと、ゴメン、ゴメン。でも、そろそろ冷静になれる頃だろう。キミは、麻美と少しでも真面目に話をしたことがあるのか。そんなに、自分が麻由のことを忘れてしまうのが恐いのか、」 「・・・どうしてそんなことまで知ってるんだ、」 「まぁ、おいおい分かるさ」 「おい、ちょっと待てったら」 言葉を言い終えるよりも早く、咲哉は姿を消してしまった。それで、僕はともかく麻美ともう一度、話をしてみようと思ったのだった。 |