いつのまにか過ぎ去った桜の季節へ
3. 大学と桜並木にて、「麻美」そして「咲哉」「先輩、お昼ご一緒・・・しませんか、」 麻美は講義室の扉の前でずっと待っていたらしかった。一週間ぶりに会った彼女は、暖かくなってきた季節にあわせて、薄いベージュのセーターにジャケットだけの格好だ。はじめて会った時は、髪がショートなこと以外は麻由に似ていた彼女だけれど、そのちょっと大人っぽい着こなしが、赤いルージュが、彼女をどんどん麻由と違うものにしてゆくのが分かった。 「ゴメン、今日も友達と食べる約束・・・してるんだ」 そんな麻美を見て動揺したまま、僕はぎこちなくそう答えた。「・・・そうなんですか、残念です、」 僕はそのままあわてて立ち去ろうとした。けれども、振り向いた目の前にはあの少年が立っていて、僕の体は凍ったように動かなくなった。 「君は確か、咲哉、」 「お兄さん、『彼女』が埋まっているよ」 「何だって、」 そう言って青ざめた僕に、麻美が声をかけてくる。 「・・・あの、先輩。一体誰と話してるんですか、」 「えっ、」 咲哉は一瞬ニヤリと笑ったかと思うと、またどこかへ走り去ってしまった。授業後の学生の雑踏にまぎれて、その姿は追いかけることが出来ない。 「今、そこに中学生くらいの子供がいただろう」 「中学生、ですか。いなかった、いえ、気がつかなかっただけかもしれないですけど」 この距離で気がつかないはずはない。僕は幻覚を見ていたとでもいうのだろうか。 「あ、あの、先輩」 「何、」 「・・・今晩は必ずお家に伺いますから。先輩の、誕生日を祝ってあげたいから、」 俯いて、少し震えながら言う。けれども僕はもう彼女の気持ちに応えることが出来ないから、また別の言い訳を重ねなくてはならなかった。 「やっぱり今日はどうしてもバイトで遅くなるから、ダメなんだ。ごめん。じゃあ、また」 言うだけ言って、足早にその場を去ろうとした僕の背中に、麻美が涙声で言葉を投げつける。 「それでも、私、ずっと待ってますからっ・・・」 胸が裏側から痛むように思った。 |
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逃げながら、麻実の言葉を忘れようとすると、代わりにあの少年のことが頭に浮かんだ。あれは僕の見た幻覚だったのか。頭のどこかにこのもやもやを解く鍵を忘れてきたような気がする。その鍵を見つけるため、僕はまた街をふらふらとし始めた。 夕刻、僕は再び堤防の小道へとたどり着いていた。橋を渡り、まだ花を付けない桜並木の下を抜け、少年と出会った板塀の家の前で足を止める。改めて見ると、板塀に囲まれた庭からは大きな梅の樹が枝を張り出していることに気がついた。 ちょっと待てよ。梅の花、少年、咲哉、桜、コノハナサクヤ・・・。 「そうか、」 全てが一つに繋がったその時、梅の樹の枝の下には、咲哉と名乗ったあの少年の姿があった。 「咲哉、君は麻由のことを知ってるんだな」 「麻由。去年新しく生まれた桜の樹の精の名前。そして、お兄さんが好きだった少女の名前でもある」 「でもどうして、それを、」 「お兄さん、いや、キミはもう気付いてるはずだよ。僕と麻由がどこか似ているってことに」 「まさか、」 「まだ桜には寒いけれど、僕にはこれくらいがちょうどなんだよ」 川風に梅の枝が揺れ、花が笑っていた。梅の季節も今が最後の盛りで、それは少年の笑みを映しているようにも見える・・・ 「じゃあ、君も事故かなにかで死んでしまって、それで梅の樹の呪いで、」 「それは違うよ、麻由って子のことは特別な例なんだ。僕は、この世の全てに宿るものたちと大差ない、ごく普通の樹でしかないよ。今回特別なのはキミのほうさ」 「僕が、特別? やっぱり僕は気が狂ってしまっていて、それで幻覚を見ているというのか、」 「近からず、遠からずだね。他の人には僕の姿は見えなかったろう。なぜキミだけには僕が見えたんだと思う、」 そうか・・・鍵は言霊だ。言葉は古来、力を持つものだとされてきた。それは時に予言であり、護りであり、呪いであった。交通事故で命を落とした麻由と、命の儚さを伝えるコノハナサクヤの伝承、そして「サクヤ」の音は「桜」の語源とも言われていること。全ては死んだはずの麻由と再会したときに始まっていたのかも知れない。記憶喪失にも関わらず麻由という名を言い当てた『麻由』。そして、その名前の魔力に惹かれるように、彼女と新しい生活を始めた僕。そして、今、咲哉と名乗る梅花の少年は、僕に決定的なまじないをかけようとしていた。 「・・・それはね、キミが桜に魂を捕われているからなんだよ」 |