いつのまにか過ぎ去った桜の季節へ
2. 階段教室にて、「メグミ」グシャグシャになった気持ちを静めるため、僕は結局、いつもどおり大学の授業を受けることにした。去年落としてしまった竹取物語の特講は相変わらずつまらなかったけれど、麻美が受講していないことは都合が良かった。 「ねぇ、あなたもしかしてトモコの彼氏、いえ、元彼氏じゃない」 それでもやっぱり授業には集中できないでいた僕の背中から、声がかかった。それは髪が長くて背の高い女の子、確かトモコの友達だ。 「メグミさんだっけ、」 「そう、名前覚えててくれたの?」 「トモコがよく話してたからね」 「ふぅん。」 と言ってメグミさんは、階段教室のせいで高くなっている後ろの席から、僕のことをじろじろと眺めまわした。 「ねぇ、どうしてトモコと別れたの。確かに一見キツそうだけど、根はすごくいい子だって、分かってたんでしょ」 その通りだった。時には鬱陶しいと思うこともあったけど、僕はけしてトモコが嫌いじゃなかった。それどころか深く感謝さえしていたのに、あんな酷い形で別れることになったのは、 「僕の莫迦な未練のせいなんだ」 「そう・・・トモコは何にも話してくれないから。未練か。つまんないとは言わないけれど、若いんだから暗い顔してないで、もっと新しい春を楽しんだ方がいいと思うな。おせっかいだったかしら、」 彼女もトモコと同じことを言う。それは、はじめてトモコと会った時のことだ。なぜだか腹は立たなくて、陰鬱な気分にその明るい声は心地よく響いた。 「あ、でも、あの子ってあなたの彼女じゃないの。あの一年下の子」 「桜井麻美のこと、」 「うん、ゼミで一緒になったことがあるんだけど、この前、あなたと一緒にいるのを見かけた」 「麻美は・・・ただの後輩だよ」 「ふぅん、そっか」 いや、もう後輩でさえないのかもしれない。ともかく、今の僕は彼女を避けたいと思っていたから。 はじめて麻美と会ったのは、高2の夏のことだった。修学旅行の打ち合わせのため、グループのみんなで麻由の家に集まった時、まだ中学生だった麻美が始終、麻由にまとわりついていたことを覚えている。その時はただ、仲のいい姉妹だな、と思っていた。 それで後になって麻由が、妹があなたのことを意識してるみたい、なんて冗談めかして言うから、僕は子供らしい憧れだと思って、適当に聞き逃がしていた。そもそも、その時の僕は麻由と話ができるだけで舞いあがっていたんだ。けれども、『麻由』は消えてしまう前に、もう一度そのことを言った。そして、大学に入って来た麻美は、やっぱり本気らしかった。 僕は、ただの先輩・後輩としてなら上手くやっていけると思っていた。そう、変わりばえのしない日常を分けあうだけの、友達のままずっと、心に立ち入らせることなく。 現実は、学科の新入生歓迎会、花火大会の夜、クリスマスパーティー、気がつけばそんなときはいつも側に麻美がいた。僕が麻由を好きだってことを、麻美は知っているのだろうか。でも、もし知っていたとしても、僕が二度、麻由を失ったことまでは知るはずがなかった。 はじめて麻由を失った時、その悲しい想い出を忘れさせようとしてくれたトモコの気持ちは嬉しかった。だけど、二度も麻由を失った今、僕は麻由のことをもう、けして忘れてはならないと思った。もしも忘れてしまったなら、僕は三度、麻由を失うことになるんだ。 それなのに、麻美と一緒にいると、僕はふと麻由のことを忘れかけている自分に気づく。彼女の気持ちが分かっている以上、「友達として」なんて中途半端は長く続けられるはずもない。だから、僕は麻美と離れなくてはならなかった。 「でもさ、彼女のほうはあなたのこと、あっ、」
彼女の見た方を振り返ると、教授がこちらの方を睨んでいた。僕らはちょっと頭を下げて、それからはずっと正面を向いておとなしくしていた。 |
|
《難波津に咲くや木の花冬ごもり 今は春べと咲くや木の花》 『・・・さて、これは古今和歌集の仮名序に登場する王仁の歌ですが、この歌の真意は、』 また竹取と関係無い話が始まった。この教授の話はあまり面白くないので、僕はその歌の言葉だけを頭の中で弄んだ。咲くや木の花、サクヤコノハナ、コノハナサクヤ、木花佐久夜、それは確か人の命が美しく儚いことのいわれ・・・麻由。あの少年は一体、何が言いたかったのだろう。僕と麻由のことを知っているとでもいうのだろうか。 「・・・『彼女』が埋まっているんでしょう」 少年の言葉を思い出す。桜の樹の下に埋まる麻由の死体は、あまりにリアルな想像で、僕は吐きそうになる。時間が止まったようになって、ただ、教授の声だけが呪文のようにぶつぶつと聞こえていた。 『咲くや木の花、というのは仁徳天皇の即位を予言する言葉で・・・』 目眩がして頭が混沌とする中、なにか引っかかる言葉を聞いたような気がした。 「ちょっと、どうしたの、」 その時、椅子にうずくまってうめく僕を見て、メグミさんが心配そうに声をかけてくれた。 「いや・・・だ、大丈夫だから・・・」 『・・・さて、花というのはたいてい桜のことを指すものですが、ここでいう『木の花』は梅の花を指しています。』 木の花。梅の花・・・。さっき頭に引っかかった言葉を探すことに集中していると、吐き気は徐々に収まっていった。 時計の針が十二時二十分を指すと、授業は定時より十分早い終わりを告げた。僕は軽い挨拶でメグミさんと別れた。桜並木での出来事以来ずっと、半分夢を見ているようなおかしな気分だ。そして、講義室を出た僕を待ち構えていたのは、こんなとき一番会いたくない女の子だった。 |