森林光年


春、一面の桜は綺麗で怖い
冬、一面の雪は綺麗で淋しい
淋という字は、水の林、
怖くはないけど、ひとりぼっちの雪の林



第三章. 水瀬 名雪



天野は夢想する。

それは望みを叶えられる空想でなく
現実と不可分のもので、
心と世界とを繋ぎとめる物語であるとも言えた。
箸が転んでも可笑しいとは
思春期の少女に言い旧された言葉だが、
天野の場合は全てをこの少女の偏執さで、
喩えと卑下をもって語り直すのだった。


「私とこんな風に歩いていていいんですか」

「え、どうして」

放課後、上級生と並んで帰るというのは
とても目立つものだった。
周りの目を気にしなくてはならないほど
孤立することはなくなった天野だが、
なにより一つ、大きな問題があった。

「名雪さんに悪いです」

「そんなものかな」

「そんなものですよ」

気さくに女の子に声を掛けることの多い祐一だが
このとき少し考えたところを見ると
やはり名雪のことだけは
まんざら気にしてないわけでもないらしかった。
それでも自分を誘ったということを友情ととるべきか、
それとも他のもっと複雑な事情ととるべきか考え始めると、
天野は、灰色と黒、
ときに濃い褐色の交ざる曇り空のことを思った。

雲も、はじまりは清浄な場所にあった。
見上げれば、成層圏、
またそのはるか向こう側にある
星の世界の美しさを見て、雲は育った。
そして、好奇心に駆られ地表近くに下りてきた雲は、
涙を知り、
私たちの色に染まってゆくのだ。
それは、雲の物語。
街を訪れる一瞬の夏の
まだはじまりの雲の白さを私たちは知っている。
だとしたら、今、
この長い冬を覆う重く暗い雲は、
起承転結のどの部分に当たるのだろう。

「天野?」

うわの空の天野を今度は祐一が呼ぶ。
天野が視線を現実に戻すと、
辺りは一面、雲の落とした雪の白、
空の世界とは対称的に
全てがはっきりとして見えていた。

そして、天野の隣りには祐一がいた。


あるいは、それは帰途にある公園のべンチでの幻。
天野は名雪のことを考える。
降り積もる雪より幾重にも深く、
けなげに時を重ねる君の名、名雪。
身近な人間には気の回らない祐一には
お似合いの女性に思えた。
学校のグラウンドにも降るだろう
同じ粉雪が空を舞うのを見ては、
濡れたトラックを駆ける
その女性の意外な速さを思いだす。

祐一は、天野のペースに合わせて
休み休み歩を進める。
天野が行く手に何かを探せば、
祐一は天野と並んで、
低い冬の空よりもはるかに遠く
景色の消えるその一点をみつめた。
天野が立ち止まって
未来や過去を想ったならば
祐一は優しく肩を抱いて
天野を寒さから守った。


それは、祐一と天野のはじめての旅。
たとえ、学校の昇降口から水瀬家の玄関までの
ごくありふれた道だとしても。
景色が心惑わすのなら、
二本の足でどこまでも歩けばいい、
側に並ぶもう一組みの足が、
新しい風景へ、導いてくれるのなら。
そして、その辿り着く先にあるもの、


「おかえり。それと、こんにちは」


二人を迎える、名雪の笑顔。





→ 第四章. 天野 美汐




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